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第176回「宇宿允人の世界」曲目解説

作品研究 : 羽山定克
スウェーデンハウス(株)
特別顧問

  グリーグ/E.H. Grieg (1843−1907)
「ペール・ギュント」第1組曲作品46・第2組曲作品55

グリーグ/E.H. Grieg (1843−1907)
    ご存知ノルウェー第2の都市ベルゲン生まれの作曲家グリーグの代表作。
    同じくノルウェーの誇る文豪イプセンがまとめた詩劇ペール・ギュントのための音楽です。

    夢想家で、ほら吹きで、女たらしの伝説の主人公ペールが繰り広げる冒険物語が題材です。

    23曲の付随音楽を、異なる時期に2つの組曲としたため、曲順は物語の展開通りではありません。

    宇宿指揮はこのような変化と起伏に富んだ組曲においても、自然のダイナミズム、物語展開の緊迫感、荘重な死の悲しみ、女性の愛の気高さなど、随所に深い表現を透徹させます。


[ 第1組曲 ]

I 前奏曲「朝」(第4幕より) [87小節]

    心機一転、アフリカのモロッコに渡ったペールが迎える爽やかな朝。フルートとオーボエの音色が澄んだ空気を伝えます。最初のフォルテは雲の中から輝く太陽が突然現われるイメージ(作曲者註)。次のフォルテシモで、宇宿演奏は大自然の壮大な夜明けを感動的に描きます。

II 「オーゼの死」(第3幕より) [45小節]

    前半は死の床にある母オーゼのかたわらで、ペールが空想話を語りかけている場面。上昇旋律の曲は荘重で悲痛そのものです。後半の下降旋律は、息を引き取った後の静謐(せいひつ)な死後の世界を暗示するようです。宇宿指揮は身を切られるような哀切さに加えて、旋律の対比の巧みさがみごとです。

III「アニトラの踊り」(第4幕より) [173小節]

    第2組曲の「アラビアの踊り」に続く曲。アラブ族の酋長の娘が舞う官能的で蠱惑的(こわくてき)な踊り。ペールは誘惑に負けてしまいますが、翌朝目覚めた時は、金を巻き上げられた上砂漠の真ん中に置き去りにされるという痛い目に会うようです。甘い誘惑のかげに災厄ありです。

IV「山の王の宮殿にて」(第2幕より) [89小節]

    ドブレ山に住む巨人族トロルのグロテスクなバレエ。後半、ペールは女性絡みで魔王の息子たちに追い回される羽目になります。終曲近くに2回ずつ繰り返されるフォルテシモの叫びは、「殺せ、殺せ」というトロルたちの呪いの声です。圧倒的な緊迫感は宇宿演奏ならではのものです。

[ 第2組曲 ]

I「イングリードの嘆き」(第2幕より) [83小節]

    物語の始めに、ペールは幼馴染のイングリードを結婚式の場から略奪しますが、間もなく飽きて捨ててしまいます。心に沁みる哀切な調べがイングリードのけなげな心と嘆きを示します。冒頭と最後に2度ずつ繰り返される緊迫した叫びは、「悪魔のところに行ってしまえ!」というペールの声と、彼を責める人々の怒りの声という両説があります。どちらにせよ、若いペールはどうしょうもない男です。

II「アラビアの踊り」(第4幕より) [148小節]

    オアシスに集うアラブ族の踊り。エキゾチックなメロディー、独特なリズム、変化に富む踊りが続きます。中間部で弦のみにより奏される美しいメロディーは、アニトラの歌です。これに続くペールの受難は、先に触れた通りです。

III「ペール・ギュントの帰郷」(第5幕より) [192小節]

    冒険をし尽くし、富も得て、老境に達したペールは故郷ノルウェーに帰ろうとしますが、船は嵐で難破し、無一文となって命だけは助かります。緊迫した嵐の情景が描かれます。打楽器と低音弦のトレモロは、恐ろしいノイズを作ることが作曲者の注文ですが、管群の高音旋律は何故か美しく聞こえます。

IV「ソルヴェイグの歌」(第3幕より) [76小節]

    故郷で恋人のペールを待つ有名な「ソルヴェイグの歌」。ハープの伴奏に乗って、第1ヴァイオリンが奏でる旋律は、あまりにも気高く美しい。マエストロ宇宿表現の真髄がここに発揮されます。 詩劇の第5幕では、ソルヴェイグのソプラノ独唱に包まれて、ペールはあの世に旅立ちます。死の間際になって、ようやくその愛の深さに気づくのです。男性諸氏、日頃から伴侶を大事にしましょう!!

    参考演奏・資料

    1.CD「宇宿允人の世界IX」(1996年11月オーチャードホールに於けるライヴ録音)
    2.全音楽譜出版社 : グリーグ[ ペール・ギュント ]組曲 第1番・第2番、解説と総譜
    3.音楽之友社 : グリーグ「ペール・ギュント」第一組曲・第二組曲・解説と総譜


  ショスタコーヴィチ D. Shostakovich (1906−1975)
「交響曲第5番ニ短調」作品47

    ショスタコーヴィチ D. Shostakovich (1906−1975)
    第4楽章終曲の勇壮な行進曲がTVドラマやCM の効果音に使われるなど、有名なショスタコーヴィチの「第5番」。

    しかし、この曲をめぐる運命的なエピソード、曲の解釈にかかわる謎は多く、それらを調べるほどに作曲家の奥深い精神世界にどんどん引き込まれてしまいます。

    この解説文も、繰り返しスコアを読み、宇宿演奏のCDを聴き、『ショスタコーヴィチの証言』を読むにつれ、受け止め方が変り、何度も書き直しました。

    少々長めの解説になってしまいましたが、天才の心の深淵を私なりに探求してみたつもりですので、どうかご一読ください。


恐怖の「粛清」から天才を救った「交響曲第5番」

    スターリン独裁体制下の旧ソヴィエト、それは信じられないような「恐怖の時代」であったようです。

    1936年1月、スターリンがボリショイ劇場を訪れ、ショスタコーヴィチのオペラ作品を観劇しますが、上演途中で退席してしまいます。その2日後の共産党機関紙「プラウダ」に「音楽にかわる荒唐無稽」と題する批判記事が掲載され、作曲者は「粛清」の危機に立たされます。

    事実、この日を境に姉マリアの夫と妻ニーナの母は収容所送り、伯父とパトロン、友人の数人が処刑という悲惨な事件が相次ぎます。

    そのさなか、ショスタコーヴィチは型破りな大作「交響曲第4番」の初演を断念し、急きょ以前から構想していた交響曲の作曲に取り掛かり、僅か3ヶ月で書き上げたのがこの「第5番」です。

    1937年11月21日の革命20周年記念日、ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルによる演奏は聴衆の熱狂的な支持を獲得し、作曲者の名誉が回復されたのです。本曲の初演の成功が、天才作曲家の命を救ったのです。

世界の評価を変えた『ショスタコーヴィチの証言』

    一方、西欧社会では長い間、ショスタコーヴィチは「社会主義リアリズムへの迎合者」とみなされてきました。

    ところが1979年、米国に亡命した音楽学者ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』が出版されるや、故人に対する世界の評価は劇的に変化します。

    この本には旧ソヴィエト体制に反抗し苦悩してきた作曲家の姿が描かれ、15の交響曲のすべてが「迫害された人々への墓碑銘である」と自身が述べており、その後の研究により本書の信憑性も立証されています(訳書を読むと、スターリンとの確執、生々しい批判が赤裸々に語られています)。

    これを期に、ショスタコーヴィチの過酷な環境を生き延びた不屈の精神、作品の先見性や魅力の数々が世界から注目されるようになったのです。

ムラヴィンスキーですら真の理解者ではなかった?

    初演時の指揮者は弱冠34歳のエフゲニー・ムラヴィンスキー。それは「運命の出会い」であり、彼が生涯にわたってこの作品を指揮した回数は120回を超えると言われます。

    1973年5月、ムラヴィンスキーがレニングラード・フィルを率いて初来日した東京文化会館でのコンサートは、日本国内にも大きな衝撃を与え、その伝説の演奏は2000年になってようやくデジタル再生でCD化されました。

    ところが、その指揮者について作曲者は先の『証言』で次のような恐るべきことを述べているのです。

    「あるとき、私の音楽の最大の解釈者を自負していたムラヴィンスキーが、私の音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。

    交響曲第5番と第7番で私が歓喜の楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそ私の思ってもみなかったことを言っているのだ。〜あれは"強制された歓喜"なのだ。それは、鞭打たれ、〈さあ、喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ〉と命令されるのと同じだ。」(水野忠夫訳)

    これは、本曲第4楽章の終曲のコーダに関する、作曲者の意図と指揮者の解釈の決定的な行き違いを明らかにしているようです。

「交響曲第5番」にこめられた真実とは?

    初演当時、旧ソヴィエトにおいてはこの作品は「革命的理想に目覚めて行く主人公の成長過程を描くもの」と解釈されました。

    音楽形式としては、社会主義リアリズムに叶うような体裁を整えているため、スターリンにも受け入れられたのでしょう。

    ムラヴィンスキーは、結果としてショスタコーヴィチの救命に貢献したのですが、作品にこめられた作曲者の真意を理解してはいなかったことになります。

    今日においても、この曲を「勝利によって完結する長い精神的な戦い」と解釈するのか、「不条理な体制社会の中で葛藤する精神の苦しみ」と理解するかで、演奏はまったく変わってくると思います。

    マエストロ宇宿は、1996年4月、当芸術劇場において本曲をとり上げCD化していますが、その演奏は限りなく深く、重く、悲痛さに満ちており、ショスタコーヴィチの真実の内面世界を余すところなく表現しているように思われます。

    特に終曲のコーダはもはや単なる「歓喜の行進」ではありません。本日のコンサートはどのような演奏となるのか、皆さんとともに楽しみにしたいと思います。

    なお、本作品にしばしば「革命」という標題が付けられますが、作曲者による正式なものではなく、プログラムからは削除しました。作曲者の意図とは正反対の「体制礼賛」と誤解されかねないからです。

    前置きが長くなりました。以下に、宇宿演奏の注目点を簡潔にまとめたいと思います。


【 第1楽章 Moderart-Allegro non troppo 】[316小節]

提示部[119小節]

    序奏主題→第1主題→序奏主題→第2主題と進みます。冒頭、低音弦が先行し、高音弦が1拍遅れで追随するカノン(序奏主題)は、独特の緊張感に満ちており、聴衆はいやおうなくショスタコーヴィチの神秘の世界に引き込まれます。

    ヴァイオリンによる2つの主題は美しく瞑想的です。

展開部[122小節]

    伴奏ピアノの上に、不気味に変身した第1主題が4本のホルンで現われ、トランペットの行進、ファゴットとホルンの雄叫び、打楽器の行進リズム、3本のトランペット重奏で緊張が高まります。

    再び序奏主題のカノンが現われ、金管が加わって不安のクライマックスとなります。宇宿演奏では暗黒時代を象徴するかのような緊迫感が漲ります。

再現部[58小節]

    ティンパニの連打を合図に、速度を落として第1主題が全楽器のユニゾンで高らかに歌い上げられます。

    困難に屈しない「意思の力」を示すドラマの頂点です。

    続いて愁いを帯びた第2主題が再現されますが、宇宿演奏では悲痛な美しさが漂います。

コーダ[17小節]

    チェレスタの上昇アルペジオで、ドラマの第1幕は静かに消えて行きます。

【第2楽章 Allegretto 】[250小節]

主題部[86小節]

    軽快なスケルツォ部。可憐なメヌエット調の第1主題、きらびやかな舞曲とファンファーレのセットによる第2主題が提示されます。

中間部[114小節]

    優雅で楽しい旋律が、ヴァイオリン・ソロ→フルート→木管合奏に展開。その変奏がファゴットのスタッカートとヴァイオリンのピチカートに続きます。

再現部[50小節]

    第2主題の舞曲が2回再現され、中間部旋律をオーボエが短く締め括ります。


【 第3楽章 Largo 】[190小節]

    哀切の極致とも言うべきショスタコーヴィチのラルゴ!! 初演時、多くの聴衆が涙を流したと言います。

    民衆こそが曲に隠された鎮魂の思いを感じ取り、抑圧された感情が噴出したのではないでしょうか。

    宇宿演奏はこの楽章において最高の本領を発揮します。金管を休ませ弦の変則8部編成で演奏されます。

主題部[102小節]

    第3ヴァイオリンから第1ヴァイオリンに受け渡される美しくも悲痛な第1主題、ハープ伴奏を伴ったフルートによる叙情的な第2主題、ヴァイオリンのトレモロの上に木管ソロが順に繰り広げる寂寥とした第3主題が続きます。

    宇宿指揮は格調高い悲愁の世界を紡ぎ出します。

展開部[53小節]

    第1主題後半の旋律が全楽器による「激情の嵐」となって登場します。

    続いて、クラリネットのトレモロが緊張感を高める中、チェロ群が第3主題を再現しますが、それはもはや「激しい怒り」の表出です。

    各小節の頭に、コントラバスの最強調音が何度も繰り返されますが、「断首」を暗示していると唱える説があり、同感です。天才作曲家の抗議の隠しわざです。

コーダ[35小節]

    沈静の後、弦群による哀切なコーダ、ハープとチェレスタの弱音で、美しさと悲しみと怒りに満ちた楽章が終わります。


【第4楽章 Allegro non troppo 】(358小節]

主題部・展開部[143小節]

    2つの主題の提示と展開が矢継ぎ早に続きます。

    第1主題はティンパニを伴った勇壮な行進曲と軽快な副旋律に始まり、全楽器により高潮します。

    第2主題は木管と弦の高音連続音の中、トランペットで奏される国家警察のサイレンのような不吉な旋律であり、ここにも天才が隠しこんだ「弾圧」の影が見え隠れします。

    激しい打楽器の合図で「運命のリズム」が現われ、沈静化します。弦のトレモロの中、ホルンのソロが愁いに満ちた曲調で第2主題を再現し、悲劇の終末を暗示します。

間奏部[68小節]

    痛切なまでに美しいヴァイオリン、哀切なフルート・ソロ、憂愁をこめたホルンの重奏と、心を揺さぶるメロディーが間奏されます。弦の伴奏上下音がはかなさを漂わせます。

再現部[79小節]

    軽快だった第1主題の副旋律が、悲哀の曲調に変身してヴァイオリンで再現され、ハープの音が鎮魂の鐘のように響きます。

    第1主題の行進曲も、勢いを失って木管・ホルンの変奏で再現されます。強いられた勇壮は、抑圧された感情に取って代わったようです。

終曲部[68小節]

    3拍子の終曲の予告[33小節]と4拍子のフィナーレ・コーダ[35小節]。

    木管・ピアノ・弦の小刻みな緊張音の中、ホルンとトランペットが終曲を予告し、有名なフィナーレ、ティンパニの両手交替音が先導する金管のファンファーレに高まって、波乱のドラマが終ります。

    ティンパニの交替音は、作曲者の怨念をこめるかのように、最後にだめ押しのもう一打ちが奏されます。

    マエストロ宇宿の演奏は、ムラヴィンスキーのような「装った歓喜」ではなく、バーンスタインのような単純な「勝利の行進」でもなく、まさに「怒涛の怒り」の炸裂です。

    これこそショスタコーヴィチが意図した終曲ではないでしょうか。

    参考演奏・資料 :

    1.「宇宿允人の世界(8)」CD(1996年4月、東京芸術劇場に於けるライヴ録音)
    2. E.ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルCD(1973年5月東京文化会館に於けるライヴ演奏を、2000年6月NHKがデジタルリマスター)
    3. バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルCD(1959年10月、ボストン)
    4. 全音楽譜出版社「ショスタコービッチ交響曲第5番」総譜
    5. 音楽之友社 : 作曲家・人と作品シリーズ「ショスタコーヴィチ」(千葉潤著)
    6. 中公文庫 : ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳)
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